2012年 03月 11日
今日は朝から どの局も震災関連の番組をやっている。昨夜はNHKを見ながら 膝で赤子を寝かしている夫と あの日の事を思い出して少し話した。あの時私と 夫は 電話での通話中に地震に見舞われた。夫は羽田空港の駐車場で 私は 自宅で お互い携帯を使っており 話し声の邪魔になるのでテレビは消していた。 なので緊急地震速報は全く見ておらず いきなりの揺れに翻弄される事になった。 けれどそれが 振り返るとかえって幸いしていたと思う。夫はあの日からずっとずっと 家に帰って来られなかった。地震後に必死に電話を掛けても 繋がらなかったと思う。 そうなっていたら 夫は現在どこに居るかも分からないまま 数日過ごす事になって いた。せめて 今羽田空港に居て 建物の外に居て命が助かっている と知れていた のは良かった。 あれから一年が経過し あの頃お腹に居た赤子は 生後六カ月になった。赤ちゃんが 寝ている最中 夜泣きで起きる事はよくある事。しかしこの子の場合は その理由が とても特殊だ。この子は自分のご機嫌ナナメでは起きる事は無いが 地震で起きる。 夜間に限らず 地震はいつでもどこでも いまだに山と起きている。 復興 復興 と本格的にテレビで連呼されるようになったのは 11日から3~4ヶ月も 経った頃だろうか。でも東日本に住んでいる人間達は 恐らく全員が同じだと思う。 震災は過去になっておらず 今も進行形である。だから今は 「終わった さあ復興だ」 ではなく「続いている でも嘆いていられない さあ復興だ」という心境だ。私の住む町は 今もまだ“ここより被災地”という看板が立てられており 液状化で滑り台のようになった 屋根の突き出た家屋が 直しようもない状態で放置されたまま。放射線量は 空間放射 線量は原発30㎞圏内よりなぜか多く 地表の放射線量は チェルノブイリでの強制退避 対象の地区と同程度。自分の一番大切なものが誕生する寸前 世界が一変してしまった。 以前にも書いたが 私は子供を持つつもりはなかった。結婚して随分経っても出来なかった し かといって焦る気持ちもなかった。そんな中 ひょっこり授かった娘の存在は 驚きは したけれど 嬉しくもあった。けれど 一変した世界に子供を産み落とす事が 恐怖にも なった。これからこの子は どんな世界に生きるんだろう。この子の生きる周辺は 土も花も 食べ物も全部 死を齎す事になる世界なのに。だけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ んな事言っちゃあおれん!!!!何がなんでも 守るしかない!!!!! そう思うしかない。実を言えば 前向きどころか 超後ろ向きという心境だ。東日本大震災 から一年は経ったが 経ったというだけ。余震は相変わらずもの凄い頻度だし それが 終わったと思ったら 今度は首都直下 それとは別に関東県南直下。どちらも確立80%。 少なくともあと二度 確定されている直撃を食らう。心のどこかに「どうせまた来る。その時 こそ家も持たない。死も逃れられないかも知れないあ~あ もうどうでもいいや 来るなら コイや」という気持ちは 拭いたくても拭えない。でも 傍らにいる娘の顔を見ると その 気持ちが少し動く。いやいや こいつの成人姿を見るまで死ねるか!と。生きないと いけない。どんなに嫌でも。生かさないといけない。可愛い娘を。 夫は今日も仕事。震災一年の追悼行事は 夫の職場の地域でも行われる。今日はそれ。 子供が産まれる頃 多分八月には勤務体勢は絶対元に戻ってるから。夫はそう言っていた が 結果は娘が生後六カ月になっても 馬車馬のように働かされる事は変わっていない。 こんなに こんなに夫は会社に縛られているのに 月給は上がるどころか下がる事になった。 大学生のコンビニバイトの方がまだ貰えているんじゃないか と真剣に考えるほどの額を 更に また。ただ 夫は強制的に今の仕事についたわけではなく 自分で選んでこの仕事をしている。 そしてまた私も そんな仕事と知って一緒になった。だから文句はその時点で言えないが・・・ ひとつだけ声を大にして言いたいのは 娘に。お父さんと同じ職種のやつとは結婚するな! ・・・と言いたい(笑 お母さんは身に染みてるからねぇ。基本 真面目な人なら誰でも構わない が 出来たら 同じ苦労はして欲しく無いな。 あの頃 一年経ったら 少しは良くなっているかな。あの時は大変だったねぇ と 産まれた 子供と夫と 笑う事が出来ているかな。と 日記に書いたと思う。その一年後が現実に来た。 実際は あの時は大変だったねぇ でも今も大変なままだね でも仕方が無いね という 状況だ。それでも 食べ物も水もなかった町には物資が戻り バッカリ割れて通行出来な かった道は少しづつ直り 夫の泊まりっぱなしの勤務も無くなった。だから良くなっていると 思わないといけない。私は 姉一家も父母も 夫も子も みんな居る。家族を失わなかった のだから それだけでも救われていると思わねば。病気で死別する時だって 心の整理は つかない。でも 一応の覚悟は出来る。突然来る死は それが叶わない。昨日まで笑って いた人間が 居なくなってしまった絶望を 今回の震災でどれほどの数の人が背負った のだろう。地震と津波だけではない。その後の生活や原発事故で 自殺してしまった人 の家族も同じく。計り知れない。 あれこれ考えていたら 赤子がねんねから目を覚ました。夫も夕方には帰る とメールが 来た。今日の夕飯は 沖縄そばとおにぎりとサラダ。壊れたままの家で 贅沢なものは 何一つ並ばない食卓で いつもとほぼ同じの生活。だけど 一年前とは一変した生活。 この記事をアップし少ししたら 2:46になった。わけもなく涙が出た。自分にあまりにも 酔い痴れすぎだろう と思ったが 同時に止められなかった。子供が産まれた喜びと 地震・津波・原発事件(事故じゃないよね・・)。 最高の喜びと 最悪の絶望と 同時に いっぺんに味わった年だったから。色んな事があったから。でももうすぐ夫が帰って 来るので 早く顔を洗わないと。
by rim27
| 2012-03-11 14:39
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